作業療法士が「知識と生産性」で自分を測るのをやめた話【弱さ考×努力の地図】

30代の生存戦略

作業療法士として働き始めてから、ずっと毎日が実習みたいだった。

家に帰っても臨床の振り返りをして、わからなかったことを調べて、「もっと知識が必要だ」「技術を磨かなければ」と常に緊張感を持って生きていた。

優秀なビジネスパーソンに憧れていた。論文をバンバン出して、学会発表をして、IQが高くて生産性がある人間になりたかった。

でも、それがずっと苦しかった

その答えをくれたのが、

井上慎平さんの「弱さ考」と荒木博行さんの「努力の地図」という2冊の本だった。


強いビジネスパーソンを目指して鬱になった僕の 弱さ考 [ 井上慎平 ]

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強い個人 vs 弱い個人、OTはどちらで生きるべきか

弱さ考の中で、著者は「強い個人」と「弱い個人」という2つの生き方を定義している。

強い個人

・いつでも・どこでも・誰とでも変わらない自分」のこと。

経済性があって、生産性が高くて、能動的に動ける人間像

弱い個人

「今・どこで・誰との組み合わせによって変わる自分」のこと。

周囲との人間関係や社会性の中から自分が成り立つという世界観だ。

現代社会では強い個人が評価される。でも僕はこれを読んで、「リハビリ職には弱い個人の方が絶対に合ってる」と強く思った。

けんぞう
けんぞう

ここからは僕の話になります!

20〜40分、患者さんと向き合い続けるとわかること

ドクターは短い診察時間の中で完結することが多い。その場では「強い個人」として、ぶれない自分を保つことも可能かもしれない。

でも、僕たちOTは違う。20分、40分、患者さんと向き合い続ける。

その時間の中で「自分は自分だ」という強い個人であり続けると、どうなるか。衝突する。疲弊する。心が削られていく。

患者さんとの関係の中でしなやかに変化できる「弱い個人」の方が、長時間のセラピーには合っている。そう気づいてから、少し楽になった。


ポイント

OTが「強い個人」であり続けようとすると、20〜40分の関わりの中で摩耗する。

「弱い個人」として場に合わせる方が、長く続けられる。


それに、OTの本質はROMが何度上がったとか、筋力がどれだけ改善したという数字だけじゃない。

もちろんそれは大切だ。でもそれはあくまで手段であって、OTの本質じゃない。

たとえば患者さんの癒着が剥がれていくとき、それは本当に自分の技術だけで起きているのか。自然な治癒の過程で新陳代謝が起こって剥がれていく可能性だってある。そうなると、症例検討会で「自分のアプローチでこう改善した」と自信を持って言い切れない場面が出てくる。

でも、その正直な感覚を口にすると、こんな評価が返ってくることがある。

「思考に一貫性がない」

「対象となる部分が絞り切れていない」

「今回はたまたまよくなっただけでしょ」

悔しかった。でも反論もできなかった。

なぜなら、自分の中にも「本当にそうかもしれない」という気持ちがあったから。

それを無理やり結果主義・成果主義に持っていくと、どこかで歪みが出てくる。「自分がやったから良くなった」という物語を無理に作らないといけなくなる。そのひずみが、じわじわと自分を追い詰めていく感覚があった。

いくら可動域が上がっても、その人が社会の中でどう生きていくかを支援することがOTの仕事だ。その人の人生の文脈の中に、自分の関わりが残り続けること。それが数字には出せない、本当の成果なんじゃないかと思う。


大学の外部講師をクビになって気づいたこと

ここで少し恥ずかしい話をしようと思う。

一時期、僕は大学の外部講師をしていた。

学会発表を続けて、論文を書いて、知識を積み上げてきた結果だと思っていた。

「ついに自分の知的能力と生産性が認められた」と本気で信じていた。

「行動と結果の間に明確な『因果関係』がある」

本気で思っていた。

でも、実際はどうだったか。振り返ると全部、偶然だった。

  • たまたまその学会会場に、大学の先生がいた
  • その先生がたまたま専攻長になっていた
  • 僕の発表がたまたまその大学で不足していた分野だった
  • 先生がたまたま僕のメールアドレスを知っていた
  • 大学までの距離がたまたま往復6時間圏内だった(ギリギリ行ける距離だった)

全部、偶然の重なりだ。

弱さ考の中で、著者は「ひとつの原因にひとつの結果が対応するような一元的な因果関係なんて嘘っぱちなので」と書いている。まさにその通りだと思った。

そして後に、その外部講師の仕事はなくなった。クビになった。

肩書きは消えた。「あの経験は何だったんだろう」と思う気持ちもあった。

でも今は思う。あの経験も、自分の文脈の一部だ。知的能力で掴んだポジションじゃなかった。偶然が重なって与えられた場だった。でもだからといって無価値じゃない。その経験がいつか別の形で繋がるかもしれない。

それはまた、どこかで偶然が呼んでくれるかもしれない。


努力の地図が教えてくれた「ゆっくり報われる」という感覚

弱さ考を読了した後、Audibleで荒木博行さんの「努力の地図」を聴いた。

「努力の地図」には、「目標の距離 × 時間」という概念が出てくる。

短期的な努力での即時報酬だけが、努力の報酬じゃない。時間をかけてゆっくりと達成していく、そういう報酬の形もある。また、サプライズ的な報酬もあると言っている。

 弱さ考のよる偶然の一部にこのようなサプライズ的報酬もあるのかもしれない。

けんぞう
けんぞう

弱さ考のよる ❝偶然❞の定義に

サプライズ的報酬の考えに繋がるかも?


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これを読んで、自分の経験が頭に浮かんだ。

高校2年生のとき、僕は学校の先生になりたかった。

でも、臨床実習に行って初めて「作業療法士になりたい」と思った。

先生になる夢とOTになる夢は、その時点では別々の話だった。

それが12年後、大学の外部講師という形で偶然ひとつに繋がった。

また、野球のリハビリに関わりたいと思い始めてから、実際に子どもたちの野球肘のリハビリを任せてもらえるようになるまでに6年かかった。

その間、ずっと肘のリハビリの知識を積み上げて、野球のフォームを研究し続けた。

誰かに指示されたわけじゃない。ただ「関わりたい」という気持ちだけで続けてきた。

6年越しにその仕事が目の前に来たとき、今まで積み上げてきたことが全部繋がった感じがした。

「今の努力は何も積み上がっていない」と思いそうな瞬間は何度もあった。

でもそうじゃなかった。遠い目標に向かって、時間をかけて地図を描き続けていただけだった。


ポイント

今見えていない努力も、地図には刻まれている。目標が遠くても、時間がかかっても、それは「遠回り」じゃなくて「ゆっくり報われるルート」を歩いているだけかもしれない。


この2冊が教えてくれたOTとしての生き方

弱さ考と努力の地図を通じて、自分の中で2つのことが変わった。

1つ目は、自分の価値を知識量や生産性で測ることをやめた。

人の価値は偶然の文脈の中にある。それは自分も同じだ。IQの高さや論文の数じゃなくて、自分がどんな文脈を生きてきたか、その積み重ねが価値になる。

2つ目は、今見えない努力を信じられるようになった。

すぐに結果が出なくても、目標が遠くても、地図は描き続けていい。ゆっくりでいい。それが自分の物語になっていく。

毎日が実習みたいで疲れている若手OTに、この2冊を届けたい。

弱いままでいい。ゆっくりでいい。あなたの文脈の中に、ちゃんと価値が宿っている。


まとめ

教えてくれたこと
弱さ考(井上新平)弱い個人のままでいい。価値は偶然の文脈から生まれる
努力の地図目標の距離×時間。ゆっくり報われる努力がある

参考文献

荒木博行著 努力の地図

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井上慎平著 強いビジネスパーソンを目指して鬱になった僕の弱さ考

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