続けられなかった自分を、やっと許せた話

理想と現実のギャップに苦しんだ日々

SNSを見ていると「あ、また遅れたな」と思う。SNSを閉じたあと、「今日も何もできなかったな」って思う夜があった。その回数が増えるたび、自分だけが止まっている気がしてきた。「なんであの人は自分と同い年なのにあんなに進んでいるんだろう」と思う。

そのたび胸の奥がじわっと重くなる。理想とのギャップがあまりにも大きすぎて、嫌になって辞めてしまう。そんなことが何度もあった

野球を辞めた、あの夏

例えば、高校時代の野球です。 高校1年生の夏、お盆休みに甲子園を見ていたとき、1年生で強豪校のレギュラーとして試合に出場している選手がいた。一方、自分はというと、試合にちょいちょい出ているものの、レギュラーにはなれていなかった。

「毎朝5時半にグランドに来て練習したり、夜も8時くらいまで残って練習しているのに自分たちは成果がでない。やっぱり才能には勝てないんだな」そんな謎の諦めが生まれて、そこから急に野球が嫌になっていった。

どんなに練習してもフライを捕る際の距離感覚は掴めない。いつかできるようになると思っていたが、夏休みに入って2週間練習漬けでもできない。

そんな時に現れた圧倒的な夏のスター。練習で上手くならないことがわかったから野球をやめることにした。

 何度も挫折した

社会人になってからも同じでした。筋トレやランニングを頑張ってみる時期もあったんですが、結局1ヶ月そこらで辞めてしまう。なかなか習慣ができない。 そのたびに自分は意気地がないと思っていた。

 気づいた、もう一つの「継続」のかたち

でも、ふと気づいた。 野球に関しては、仕事でまた関われるようになった。一時期は野球が嫌いで見ることもなかったけれど、今は野球観戦もするようになったし、野球をやっていた経験を活かして野球関連の仕事もできるようになった。

辞めていたものの、何かしら遠い距離にはいるけれど携わっている。結局、回り回ってまた自分のもとに野球が何かの形で戻ってきた。

 筋トレやランニングも、三日坊主だけど、3〜4日やったら辞めて、またちょっとしたらまた頑張る。そんなふうにちょいちょい続けることができている。

そもそも完全にやめた人は、もうフィールドに戻ってこない。でも自分のスタイルだと何回か形は違えどフィールドに戻ってはくる。これは逃げじゃなくて、自分の生き方の「癖」なんだと思っている。そう思うとこれも1つ継続なのだと思った。

 人生は長い。ゆるく、長く、でいい

どうしても「すぐにすごい成果を出そう」と思ってしまう瞬間もあると思う。急げって言われるほど、息が苦しくなる感じがしていた。

何かふと自分が調べたいものが出てきたら勉強してみたり、体に不調があったらストレッチをやってみたり。

人生の寿命が80年だとすると、80年の間にちょいちょいそれに関わっていたら、それは「継続できている」んじゃないかと考えるようになった。

そう思うと、意外と自分は継続できているんじゃないか。自分のこの性格は、人よりも少し段階が下がっていて、ゆるく続けている状態にいるだけなんじゃないかと思ったら、ちょっと心が軽くなった。

続けられない自分に落ち込んでいるあなたへ

あなたも、続けられなかった過去をそんなに責めなくていい。それは「ゆるく、長く関わっているスタンス」かもしれない。

僕は、続けられなかった自分を、やっと敵にしなくなっただけかもしれない。

でも、それだけで、もう一度やってみようと思える夜が増えた。 それくらいの優しさがないと人生は長すぎる。

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